明治後期から昭和初期にかけ活躍し武者絵等で「近代日本の歴史画の父」となった日本画家、小堀鞆音(こぼり ともと、1864(文久4)年~1931(昭和6)年)。
現在の栃木県佐野市に生まれ、川崎千虎に師事して土佐派の日本画(大和絵)や古来から伝わる有職故実を修練した鞆音は、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で起きた「美校騒動」で岡倉天心が作った日本美術院の創立に参加した後、美術学校に戻って教授や帝室技芸員を務めました。
多くは古代から近世までの日本の歴史から題材を取り、大作から小品まで非常に多くの制作が行われた後、明治神宮外苑の聖徳絵画記念館に遺作が収められた鞆音の作品は、大和絵の特徴を残しながらも非常に精密、かつ有職故実の知識に基づき史実上の正確性も兼ね備えていたものでした。
その影響は、直弟子の安田靫彦やその親友の前田青邨、更には自らの師・川崎千虎の孫でもあった川崎小虎を通じてその娘婿だった東山魁夷にまで及びました。他にも甲冑の修復・復元に力を注ぎました。これも絵画上での正確性を保証していたのです。
残念ながら、鞆音の存在は戦後の思潮変化の中で忘れられていましたが、故郷である栃木県佐野市の皆様のお力添え、そして鞆音の嫡孫である小堀桂一郎氏(東京大学名誉教授)の活動などによって、近年になって再び注目を集め始めています。
本財団では小堀鞆音の業績を改めて顕彰し、鞆音作品を所蔵する各美術館や全国の寺社、多くの個人の皆様、そして一部の作品を所有し続けた小堀家の協力を得ながら、デジタル公開を含めたその展示や告知活動を進めます。
「東京御着輦」
昭和9年(1934年:没後)
※聖徳絵画記念館ご提供
「二条城太政官代行幸」
昭和8年(1933年:没後)
※聖徳絵画記念館ご提供